戦士と女神の休日



  ここは城戸邸。都心にほど近く海を望むこの土地には、昔から貴族や華族の屋敷や別荘が数多くあったが、そのなかでも飛びぬけて長い塀を有している。門を入り、丁寧に剪定された庭園を抜けてから見えてくる白亜のお屋敷は、とても静かだ。
  いや、木々のざわめき、小鳥のさえずりなど、色々な音が聞こえてくるのだが、それらが醸し出すゆったりとした雰囲気の中で流れる時間は、静かと形容するのがもっとも相応しかった。
  それでも今日は、国内外を問わず、いつも忙しく飛びまわっている屋敷の女主人がいるということで、いつもより賑やかだ。
  その賑やかさの中心では、くだんの女主人と若々しさあふれる二人の若者が、木漏れ日の落ちる庭の一角でのんびりとお茶の時間を楽しんでいた。
「ふぅん、瞬の学校ではそういうものが流行っているのね。」
「そう、女の子はみんな夢中ですよ。星矢のトコロは?」
「オレんトコもそんな感じだぜ。やっぱ沙織さんの学校は、お嬢様ばっかだからさ、違うんじゃないか?」
「そんなことないわ。女の子はね、とにかくみんな可愛いものが大好きなの。明日私が皆に教えるから、きっとすぐに流行るわよ〜。」
「おお、これぞ口コミの力ってヤツだな。」
  ひとしきり笑ってからそれぞれに紅茶を飲む。ふくいくたる香りがスッと鼻腔に抜けていく。
  もう一杯とポットを手にした星矢だったが、もう中身はほとんど空で、ポットの口からはぴちょんと雫が落ちるだけだった。
  お代わりを持ってこようと、椅子から腰を上げかけた星矢を沙織の手が遮った。
「私が行くわ。」
「えっ、別にいいよ。オレが飲みきっちゃったんだし。」
「私がお茶に誘ったのだから、この場合は私がの主人であなた達は今はお客様。お客様らしくのんびりしていて。」
「んー。そういうのが作法なら、まぁ、お願いしようかな。」
「それにね、紅茶もいいけれど、最近気に入ってるハーブティーのブレンドがあるの。それも飲んでみて欲しいのよ。ちょっと待っててね。」
  星矢の手からポットを受け取ると、小走りに建物の中に入っていった。翻るフレアスカートが女の子らしくて可愛らしい。

  その後姿を見送っていた二人だったが、ふと瞬が星矢に話しかける。
「ねえ星矢。沙織さんてさぁ、最近はボクたちが体鍛えているところを見かけても何も言わなくなったよね。」
「なんだよ唐突に。でもまぁ…そういえばそうだよな。前までは「もう戦いは終わったのです」…とか言って、すぐに止めさせられて説教されたからな。」
「それで、公園でコソコソやってたら、お巡りさんに見つかって色々聞かれて。あの時は大変だったけど…。」
「そうそう。よりにもよって痴漢疑惑をかけられて散々だったぜ。もう勘弁してくれーってな。」
「ボクも女の子に間違えられるし、ね。」
「おいおい、眉間に派手にシワが寄ってるぜ〜。…って、話が反れたか。なんだっけ、沙織さんが最近大人しいって話だっけ?」
「それだとなんか誤解を生みそうな言い方だけど…、まぁ、うん。」
「あんまし考えたことなかったなぁ。オレとしてはトレーニングの機械とか使えてラッキー☆ぐらいで。ここの庭も広いからさ。それになにより塀が高くて人目につかないのはイロイロと都合がいいしな。けっこう派手に組み手とかできるし…。」

  そう言って星矢がニヤッと目を細めて笑ったところで、いつの間にか新しいティーセットを持った沙織が戻ってきていた。
「あら、なんのお話をしていたの?」
「えっ、いや別に。」
「そうそう。」
  沙織は空のティーカップをテーブルの端に寄せると、おススメだというハーブティーを持ってきた新しいカップに静かに注ぎ入れる。
  その瞬間、透明感のある薄萌黄色の液体から、清々しい爽やかな香りが放たれた。思わず胸いっぱいに吸い込みたくなるそれに、しばし会話が中断する。
「いい匂い…。」
「オレこの匂い好きだな〜。」
「それはよかった。…あ、砂糖よりもハチミツの方が美味しいと思うわ。」
「じゃあハチミツにしようかな。」
  瞬がハチミツをからめたティースプーンをカップに沈め、ゆっくりとかき回す。時折カップに当たって小さな音をたてた。音をたてることは無作法なのかもしれないが、とても澄んだ音色は耳に心地よく、咎める者もいなかった。
「…で、なんだったの? 気になるじゃない。」
「だから、たいした事じゃないって。なっ、瞬。」
「…。最近の沙織さんは、ボク達が修行をしてても何にも言わなくなりましたね。という話です。」
「言っちゃうのかよ。」
  誤魔化そうとしたオレの苦労は何だよと、星矢が脱力した。瞬はゴメンネと星矢に視線を送ってから、沙織の言葉を待った。
「…それは、私も少し成長したのよ。」
  沙織は、少し驚いたような表情をしていたが、ふと花のような微笑を浮かべて静かに話し始めた。
「私、あなた達にとても罪の意識を抱いていました。おじい様が私の為にしたことで、とても辛い目に合わせてしまった。それでもまだあなた達は見事に聖闘士になって帰ってきたけれど…、でも他にもたくさんの子供が死んだのです。だから、城戸沙織としてもアテナとしても、あなた達が幸せに暮せるようにするのがせめてもの罪滅ぼしだと思っていたの。あなた達が体を鍛えるのは聖闘士として、戦う者としては当然かもしれないけれど、それは次なる闘いへの備えでしょう? だからそういうふうに努力をしているところを見ると、普通にしていたら歩むはずだった人としての生活から、どんどんと離れていく事みたいで好きじゃなかった。…幸せに、なってほしかったのです。」
「それは…!」
  思わずといった様子で発せられた瞬の言葉を、沙織はそっと手を上げることでさえぎった。
「…そう。けれど、愛を取り上げてはいけないのね。私がこの地上のすべてを慈しむ様に、あなた方もこの地上を人々を愛しているのだと知ったのです。ならばその為にある力を、私の都合で無かったことにしようとするのは、とても愚かなことでした。奪おうとしてはいけないのです。同じくこの地上を愛する者同士なのだから…。」
  木々を揺らした風が柔らかに降りてきて頬を撫でていく。沙織の言葉の余韻が途切れてから、瞬口を開いた。
「それは人間の城戸沙織としての言葉ですか?」
「…どうして、そう思うの?」
「ずいぶんとお可愛らしいからですよ。ボクの中で、神はもっとも傲慢な生き物ですから。」
「おいおい瞬。そりゃいくらなんでも沙織さんに失礼だろ。」
「いいのよ星矢、私もそう思うもの。神様って常に上からものを見ているの。私も…アテナも人の身を持たなかったら分からなかったかもしれない。いつの時代もあなたたちの小宇宙を身近に感じていたはずなのに、ずいぶんと気がつくのが遅れたわ。情けないわね。」
「沙織さんのことだから、単にあきらめたわけじゃあないだろうって思ってたんですが、そこまで…。なんか嬉しいな。」
「オレ達も命がけで闘った甲斐があったってもんだな!」
「そう、感謝しているわ。ありがとう。」
  感情を込めてその気高い言葉を告げた女神の美しさに、少しだけドキリとした星矢と瞬だった。





-END-






あとがき   2004/4/13 風波

    長い話でもありませんが、構想から完成まで五ヶ月かかってます。
    ほのぼのを目指しているのに、ほのぼのが少ないのはイカンと慌てて完成させました。
    …ということは、実はいつも本気を出せてないってこと!? うっ。
    そういえば、
    一応私は原作からあんまりはみ出した設定とかの話は書きたくないんですが、
    この話も以前に書いた「仮面の恋」も、天界編序奏を見てからですと、
    時間軸上のどこにもハマらない!
    星矢が廃人になっているなんて…。不本意ながら無視の方向で、よろしく願います。