■ 秋から冬へ ■     風波



 秋から冬へと季節が移ろうとする頃、しがない独身生活を営む俺のマンションに、
こんな葉書が届いた。

  『  拝啓 高木さま

    そちらでは街頭にクリスマスの飾りが見えだした頃でしょうか。
   私はいま北海道にいます。こちらはとっくに冬本番で、
   南国育ちの私には堪えますが、ここの寒さは、とても澄んでいて、
   ここでなら、私のすべてを白くして生きてゆけそうな気がします。
    私は元気です。高木さんもお体ご自愛下さい。
                               水野慶子 拝  』

 葉書の裏を返すと、痛いほどの白銀が目に飛びこんできた。淡い陽光を反射して輝く
一面の銀世界に、唯一、獣の足跡だけが画面の奥へと点々と影を落としている。小さく
丁寧な文字でつづられた、どこか意味深げな文を読んだ後だと、その写真にも、何かの
暗号が秘められているように感じられた。
 けれど、実は俺にはこの『水野慶子』なる人物に心当りはなかった。学生時代の同窓
かとも思い、記憶をさらうが、該当する人物はいない。
 引っ越した時に詰めたまましまいこんだ、ほこりを被ったダンボールを引っ張り出し、
少しカビ臭い卒業アルバムをめくってもみるが、やはりいなかった。
 いや、そもそも俺は、こんな風に女から手紙をもらう器ではない。きっと何かの間違い
であるにはちがいないのだ。
 しかし、絵葉書の住所も宛名も、読み間違えなく俺のものであるという事実が目の前
にある。こうなってしまっては、もはやこの絵葉書を本来受け取るべき人物を俺には探
しようもなかった。

 完全に迷子になったこの絵葉書をどうするか決められぬまま、日々が過ぎるにつれ、
俺の中で一つの思いが生まれていた。
 仕事から帰り、一日の疲れを感じながら、絵葉書をどうするか考えるのがそれからの
俺の日課になった。だが、答えの出ない問いにはすぐに飽きがくる。考えているつもり
でも、仕事の疲れともあいまって、意味もなく、ただ彼女の書いた文を何度も読み返し、
写真を眺めてしまう。
 そうするうちに、彼女はこの絵葉書を、本当に俺に宛てて出したように思えてきたのだ。
 もしかすると彼女は天使なのかもしれない。日常に疲れた俺の心を癒すために、この
絵葉書を遣わしたのかもしれない。俺を白く清めてくれる呪文を書き、俺が天へと至る
べき一つの道筋を、雪上を歩いた獣の足跡に託したのかもしれない。
 俺は、いつかこの絵葉書を本当の受取人に渡せる日がくるかもしれないと、そう思っ
ていた。それは確かに事実だったが、この絵葉書を俺の手元に置き続けることに対する
言い訳だったのかもしれない。


 黒い奇跡。
 真冬。ニュースが、今年一番の冷え込みだと告げた、耳たぶがピリピリするような寒い
朝に、それはあっけなくやってきた。 
 一階のエントランスでふと拾った名刺入れがそれをもたらした。持ち主を調べるために
見た中の名刺には、俺の名が印刷されていた。そして、このマンションの住所、俺と
同じ住所。違っていたのは、階数を表す部屋番号の三桁目…。

 天使は俺の下から飛び去って、呪文は効力を失った。
 そして俺は家に駆け戻ると、すぐにかの銀世界の絵葉書を焼き払った。


                                           - おわり -