君 の 耳 に 届 い た な ら ば |
戦 に 散 っ た 魂 の 声 が |
笑 っ て く れ る な と 我 願 う |
酔 っ て 砂 海 に 溺 れ て も |
共 に 杯 を 傾 け る |
馬 上 の 琵 琶 に 耳 を か た む け |
夜 の 光 を 集 め る 杯 |
葡 萄 の 美 酒 が 注 が れ る の は |
王 翰 作 遊 亀 訳 |
涼 州 詩 |
憂 さ 晴 ら す 酒 も 禁 じ て こ れ よ り は 酔 い よ り 老 い に て 足 は ふ ら つ く |
苦 労 の 冬 に さ ら さ れ て 冷 え た 鬢 に は 霜 が 降 り 恨 め し さ も 降 り 積 も る |
時 は 今 菊 花 の 節 句 に 不 治 の 病 を 我 が 荷 と し た だ の 一 人 で 丘 に 登 る |
流 浪 の 身 に 積 も り し 哀 愁 万 里 と 離 れ た 故 郷 へ の 念 秋 空 秋 風 心 揺 さ ぶ る |
絶 え る こ と な い 長 江 は 時 と 共 に 永 久 を 刻 み 流 れ つ づ け て は や 幾 歳 |
果 て な い 木 々 の 落 葉 は そ の 様 い か に も 淋 し げ に は ら り は ら り チ ラ チ ラ と |
見 下 ろ す 長 江 砂 白 く 岸 の 小 波 は な お 清 く 鳥 飛 ぶ 軌 跡 輪 を 描 く |
晴 れ た 秋 空 天 高 く 小 山 に 登 れ れ ば 風 強 く 猿 鳴 く 声 と て 悲 し |
杜 甫 作 遊 亀 訳 |
丘 に 登 る |
<説明コーナー>
この二つの詩(もどき)は、高校の古典の授業で作ったものです。
一般的に「漢詩の訳」といいますと、皆さんにも覚えがあるでしょうが、訳というよりは漢詩の「意味の説明」になりがちです。
しかし、
これらはあくまでも「詩」なわけで、勉強というよりは鑑賞するのが本来であるわけです。
となると、意味の説明では、リズム感や掛け言葉も「味わう」ことはできません。
中学の国語の先生は、先生なりの「解釈」を教えることで、詩の表現する世界を伝える、
という形で授業を進めていらっしゃいましたが、
高校の先生は、「日本語の詩に翻訳してみよう」という授業をなさったわけです。
で、詩なわけですからその人なりの解釈で訳してOKということで、(涼州詩を、サラリーマンが帰宅してビールで晩酌…という悲哀に例えた人も)
ただし、「律詩や絶句の様に、日本の言葉のリズムのルール、五七で訳そう。」というわけで、
できあがったのがこれ。
他にも訳す対象はあったのですが(有名系のやつがね。春望とか)、この二つにしたのは、対句が面白そうだったから…だった気がします。
やってみて、すでに皆さんお分かりのように、
ぜんぜん五七で訳せてません! 二つ目の登高(原題はこれ)にいたっては後半にいくほどひどくなってます。
バラバラ。
文字だけで見ているとそうでもないのですが、やはり声にするとボロがでまくり。
それにしても、漢詩の情報量には目を見張るものがあります。
これでまだ韻を踏むってんだから……。(もちろんボクは踏んでいません)
で、
結局何が言いたいのかといえば、いい授業だったなぁ〜、ってことです。
読み下して、先生が黒板に書いた詩のかけらもない説明の訳をテストに備えて写すより、よほど学ぶことが多かった。
余談ですが、
涼州詩についてはクラスの人気投票で最優秀賞とりました。登高は優秀賞。
…って結局自慢かい!
これを機にもう一度もとの原作漢詩を読みなおしてみてはいかがでしよう…って、元とコレとは比べないで下さいよ。